2013年春季号(No.256)
【駒つなぎの桜】
今年もぼつぼつ桜が咲く。医者も患者も年寄りばかりで毎日「老だ」「死だ」と話していると、俺にも近いうちに桜の見おさめの時がくるのだなと認識するようになった。
昨年は河津桜に合せて川奈に行った。花の頃に気温が上がらず花見には早かった。遠くの桜の咲き具合に天気も自分の都合も何もかも合せるのは難しい。それでも黒潮が流れる太平洋は春の陽にキラキラ輝き、金眼鯛を肴に久しぶりに美味い酒が呑めたので大満足であった。
この「駒つなぎの桜」も花見には早すぎた。一人で静かに写真が思うように撮れたのでそれはそれでよかった。
桜は遅きに失するよりも早過ぎるくらいの方がいい。
「姥桜」よりも「蕾」の方がいいということなのだろうか。
辻井喬は『西行桜』の中で「日本人の心の中の桜はその人の歴史意識や人生を映し出しているので桜は怖い花」だと述べている。だから桜吹雪の中も蕾を眺めていてもいろいろのことを思い出させてくれるのだろう。
さまざまな事おもいだす桜かな[芭蕉]
(塩原 治男)